≪積み木≫
夜、けんた○うに頼まれて、一緒に積み木遊びをしていました。
み○ちゃんがお風呂から呼ぶまでとの条件付です。
ひとしきり遊んだ後、「けん○ろうおいで〜」の声に、「は〜い」と元気よく返事した彼は、ぱっぱっとシャツとパンツを脱ぎ捨て風呂場に向かいました。
「こら、積み木片付けていけ!」という私に、すっぱだかのまま憮然とした表情で、
「パパが片付けたらいいやん」といいました。
「あほ。自分が遊んでたんやから、ちゃんと自分で片付けぇ」
「パパも遊んでたやん。そんなこと言うなら、今度から遊んでやらへんで! ええの!」
と捨てゼリフをかまして、お風呂に入っていきました。
誰に似たのでしょうか。
私はしぶしぶ、積み木の半分だけを片付けました。だって、けんたろ○も一緒に遊んでいたのですから、当然後の半分はけ○たろう責任です。
≪Y≫
先日の午前中、南海高野線堺東駅近辺で会議があるため、電車で向かいました。昼からは南海本線堺駅近辺で打ち合わせです。午前中の会議を終え、堺東駅界隈で昼食を済ませた後、南海高野線に乗りました。岸里玉出まで戻り、そこで南海本線に乗り換えて堺駅に向かおうと思ったのです。恐ろしく寒い日で、珍しく雪が降っておりました。
車内で佐藤正午氏の『Y』を読みふけっていた私が、岸里玉出駅に到着したのを知ったのはドアが閉まろうとする寸前でした。鞄を引っつかみ(打合せ資料の入った紙袋を二つも提げていました)、すんでのところで飛び出した私は、向かいのホームに反対側から入ってきた電車に駆け込むことに成功しました。
一息ついて、また読書にふけっていると、「次は堺……」という車内アナウンスが流れ、降りる準備をしました。
降り立ったホームは、堺東駅でした。意味がわからず雪降るホームに立ち尽くした私は、人生を『リプレイ』してしまったのだろうかと考えていました。
ただ、慌てた私が電車を乗り間違え、反対方向に向かう南海高野線に乗っただけでした。
≪父≫
去年、親父が少々やっかいな病気に係り、入院して手術を受けました。結果、腸を三十センチほど摘出することになりました。
三週間ほどの入院を経て退院することになり、私は母とけんた○うをつれて迎えに行きました。
たまには親孝行をと思い、箕面の某所にある『ダンケ』というバターコーヒーを出す店に連れて行ってあげました。旨そうにコーヒーを飲む父に、シフォンケーキなら腸に負担も少ないだろうと注文しました。家に帰りうどんが食べたいといった父に、母が腸を気遣って解き卵と椎茸の入ったうどんを作りました。旨い旨いと父は二玉平らげました。肉類はやめといたほうがいいなと父がいい、田舎から送ってきた千枚漬けと樽漬けをばりばりと食べておりました。けんた○うが「はい、どーじょ」と差し出すチョコレートを、少しぐらいならと頬張りました。そして「少量の酒は百薬の長だと孟子が言っていた」といいかげんなことを言いながら、ちょびっとだけ焼酎を呷り、「健康って素晴らしい」ともらしておりました。
ほろ酔い気分の親父は「三十センチも腸を失ったのだから、伸ばさなければなるめぇ」というと、ビオフェルミンをバリバリと咀嚼しておりました。
翌日、一番鳥もまだ鳴かない時分、病院にタクシーで運び込まれる結果になったのはいうまでもありません。
≪はや10年≫
みーちゃんは携帯を所持して10年以上になる。
しかし未だにまっちゅるやスィートに電話をかけるときでさえ、
手帳で電話番号を調べている。
携帯には電話帳の機能がついているはずなのだが、
今度の誕生日プレゼントは、けんた○う作成の糸電話にしよう。
≪おわりに≫
ジョギングを終えて返ってきた私。
「パパ持久力なくなったわ。しんどい」
「じきゅうろく?」とけんた○う。
「体力のこと」と私。
「たいりく?」とけん○ろう
「体力。こら、パパのおちちを吸うな!」
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