告白 第一章(DH日記アップ分です。少し変更しています)



 私が勤める医院は、院長と衛生士が三名、受付が一人の五名です。患者さんの数は多いほうだと思います。毎日、忙しく働いています。
 でも、私は院長や同僚たちと交わることはありません。昼休みの時間も必ず一人で喫茶店に行き、そこでランチを食べます。診療時間中も必要なこと以外、誰とも話しません。
 別に今の職場に不満があるわけではありません。全て私の性格に原因があります。対人恐怖症とまではいきませんが、ひどく内向的な性格をしています。損な事だとは思いながら、変える努力も怠っています。
 患者さんとも、私的な会話をすることはありません。私にとって職場とは、与えられた作業をする場所でしかありません。
ただ一人だけ、親しくさせていただいている患者さんがいます。Aさんという七十代の男性の患者さんです。ずっと以前から通院されていて、意識の高い患者さんです。高齢にもかかわらず、ほとんど自分の歯が残っています。
豊かな白髪をされていて、未だお仕事をされています。アパレル関係の役員をされているとかで、黒の三つボタンジャケットを羽織り、グレーのスラックスを履き、首に赤いチーフを巻かれて現れた時は驚きました。驚く私を見て、Aさんははにかんだ笑みを浮かべられました。
診療に来られても、いつもにこやかな笑顔で話しかけてこられます。「あなたは、孫のようだ」と一度言われたことがあります。Aさんにはお子さんがおられないそうです。
私の誕生日には、必ず何かプレゼントを持って来てくださります。決して高価な物ではありません。去年は一冊の本でした。「星の王子様」という本です。今でもベッドの枕元に置き、眠れない夜にはぱらぱらとページを捲ります。
 私もAさんに好意を持っています。もちろん男性としてではありません。私の両親は共働きで、私は小さい時から祖父に育てられたようなものです。その祖父も私が十八歳の時に他界してしまいました。
私の大好きなおじいちゃん。
Aさんをおじいちゃんの姿にダブらせていたんだと思います。
 しかし、二ヶ月ほど前、私はある出来事を目撃してしまいました。
その日Aさんは歯石を取りに来られ、私がスケーリングを行いました。普段からご自分で手入れをされていますから、それほど時間はかかりませんでした。
診療室を出られた後、私は次の予約状況を確認するために受付に顔を出しました。Aさんが支払いのためカウンターにいらっしゃって、目が合いました。
彼の顔が一瞬強張ったように感じました。受付の子は次の予約を取るため、ノートに目を落としていましたから、その表情を見たのは私だけでした。その後、Aさんは普通に挨拶をされ、出て行かれましたので、私もすぐにそのことを忘れてしまいました。
診療が終わり、片付けをしておりました。受付の子が浮かない顔をして、別の衛生士に小さな声で打ち明けていました。
「カウンターに並べていた歯間ブラシの数が足りないの」
私はなんとなく嫌な気がしました。Aさんの強張った顔が頭に浮かびました。

一週間ほどして、Aさんが診療に来られました。その日は院長に診てもらわれていたので、私は会話しませんでした。
そのときは前回の出来事について、私はほとんど忘れていました。でも頭の片隅に残っていたんだと思います。Aさんが支払いをされているとき、なんとなく受付を覗きました。
そして、Aさんと目が合いました。
Aさんはカウンターに並べてあるキシリトールガムを手に持っていました。受付の子はカウンターのこちらでお釣りを勘定していました。私の首筋から血の気が引きました。
Aさんは無表情のまま、キシリトールガムを掴んだ手をゆっくりとカウンターの向こうに下ろされました。
私は目をそらすことも、声を出すこともできませんでした。Aさんは受付の子が差し出したお釣りを、もう一方の手で受け取ると、背を向けて立ち去りました。
その前に、Aさんはわずかに私に向かって頷いたように思います。
その日、ガムの残数が帳簿と合わないということで、受付の子は院長に小言を言われていました。

間違いなくAさんは万引きをしていました。紳士然とされたAさんがなぜあのような行いをされるのか、私には理解できません。着ている物も、腕にはめておられる時計も、決して安い物ではありません。そういったもので、人の人格を判断するのは間違っているとは思います。でも、どうしても納得できませんでした。
先日の朝、私は予約帳を見てAさんが私の患者で入っているのを知りました。どう対応すればいいのかを考えると心臓が高鳴りましたが、とにかく自然体でいようと心に決めました。
Aさんは何事もなかったように診療室に入ってこられ、チェアに腰を下ろされました。
「口をゆすいでください」
私の声は、いつもと少し違ったと思います。緊張で喉が渇いていました。
Aさんは上目遣いに私を見ました。そして、小さな声でこう言いました。
「黙っていて欲しい」
 突然の告白に、動揺した私は周囲に目を走らせました。幸い声が聞こえそうな範囲には誰もいませんでした。
「もう、あんなことしないでください」
自分でも恥ずかしくなるほど、声がうわずっていました。
 Aさんはゆっくりと唇を広げて、こう言いました。
「もう、あなたも共犯者です」
「……」
「二度も、わしを見逃してくれた。ありがとう」Aさんは、そういうと目を閉じ、口をあけました。
 音を立てて体中の血が足元へと落ちていきました。手に持っていたキュレットを落としそうになりました。手が震えました。自分でも呼吸が速くなるのがわかりました。息苦しくなってマスクをかなぐり捨てたいという欲求に抗うのが大変でした。Aさんの口の中も、取りあえずは手を動かしてはいましたが、歯茎を傷つけないようにするのがやっとで、歯石を取るどころではありませんでした。それでもAさんは何も言わず帰っていかれました。

 あの日以降、Aさんが来られても、私は受付を覗くことはありません。カウンターの上の物が無くなることは、今でもあるようです。院長は受付の子がずぼらなんだろうと思っています。
 この前のスタッフ会議で院長は、「今度在庫があわなかったら、少し考えさせてもらう」と言いました。受付の子は下を向いたまま、悔しそうに両手を握り締めていました。
 彼女には悪いですが、今となっては、私の口から告白することはできません。確かに、その場を見ながら何も行動に出なかった私は、Aさんの共犯者なんだと思います。