告白 第四章

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 翌日、私は辞表を持って出勤しました。辞表なんて書いたことがなかったですし、なんて書いていいのかさっぱりわかりませんでしたが、とりあえず理由については『一身上の都合により』とだけ記しておきました。
 Aさんのことを話すかどうかについては、一晩中考えた結果、話さないことに決めていました。話しても信じてもらえないだろうという思いもありましたが、話すことによって発生する煩わしさから逃避したかったのです。
 ただ、罪を被ったまま辞めるつもりはありません。「私はやっていません」それだけを伝えるつもりでした。
 仕事をやめることへの後ろめたさはありました。これまで診てきた患者さんたちに対してです。何人かの患者さんは、私がずっと担当してきましたから、引継ぎもせずにやめるのは心苦しく思いました。しかし、一日でも早く仕事をやめたいとの思いが、強くそれを凌駕していました。
 出勤してみると、院長と二人の衛生士が既に来ていました。いつもは院長が一番で私が二番と言うことが多く、今日も他の三人が来る前に院長に辞表を出そうと考えていましたから、私は戸惑いました。
 スタッフルームで着替えを済まし診察室に入ると、三人はこちらを振り向きました。私は目線を逸らし、勇気を振り絞って「おはようございます」と言いました。
 すると院長が近づいてきて、「ちょっと院長室へ」と言い、私の肩に触れました。不機嫌そうではありましたが、どこか神妙な顔つきでした。
私は白衣のポケットに忍ばせている辞表を握り締め、後に従いました。不思議といつもの緊張感はありませんでした。
 院長室に入ると、院長が先にソファーに腰を下ろし、私に座るように促しました。私がソファに腰を下ろすのを待って、院長は言いました。
「すまない」
 小さなテーブルに両手をつき、頭を深々と垂れました。状況がつかめなくて、私は何も応えることができませんでした。
「昨晩、電話があって」院長は受付の子の名前を言いました。「帳簿のミスをあの子がごまかすために仕組んだことだったんだ」
「え?」
「木曜日に受付台からキシリトールガムが一箱なくなっていてね。それで金曜日の朝に強く問い詰めたんだ。そしたら君が取っていたような気がするというから」
 院長が何を言っているのか、しばらくの間理解することが出来ませんでした。
「昨晩、泣きながら電話してきて。私が取りましたと言ってきた」
「どうして」
「金額の収支が合わなかったそうだ。私にまた怒られると思ったんだろう。ガムを誰かが盗んだらしいということにして、ごまかそうとしたんだ。ミスを隠せると思ってね」
「それで私のことを……」
「いや……。君の名前をあげたわけではない」そこで院長の歯切れが悪くなった。「いつ、誰に取られたんだと強く問い詰めた。あの子が受付を外したのはいつで、そのとき誰がいたんだと」
 院長の詰問をしている姿が目に浮かんだ。高校を卒業後就職して二年目のあの子は、おそらく怯えて身をすくませていたことだろう。
「そしたら患者が取るのは不可能なんじゃないかという結論に至った。一箱まるごとだからね。それならスタッフの誰かがということになって、三人の名前を順番に挙げていったんだ。もちろん君の名前を最後に挙げたよ。信用しているからね」
 最後の言葉が空々しく耳に浸透した。詰問を受け、返答に窮した彼女は、院長が私の名前をあげたとき、首を横に振らなかったという。院長の仮借ない尋問に怯えきった彼女の顔を思い浮かべることができる。もし容疑者として最後に上げられた私の名前で首を横に振れば、院長が次に誰を疑うか、彼女は気がついたはずだ。自分が疑われると。だから彼女は、硬直して首を横に振ることができなかったのだろう。そして院長は私が犯人だと決めてかかったのだ。
「すまない」
「それだけですか」
「え?」
「販売用品が無くなったのは、それだけですか」
「いや。二ヶ月前に歯間ブラシやガムがなくなったことがあった。それ以降は二度ほどガムがなくなったことがあったけど、どちらも返しに来た」
「返しに?」
「一度目は幼稚園児で、二度目は小学生がとったようなんだが、どちらも後で親が気づいて返しに来た」
(あぁ……)少なくともAさんの、「あれからはやってない」という言葉は本当だったということになります。私が罵声を浴びせたときの、Aさんの悲しそうな顔が浮かびました。どちらにしても、あの人とはもう会えないなと思いました。
(やっぱり辞めよう)
「院長」
 私はポケットから辞表を取り出し、院長に差し出しました。
 院長はしばらくじっと私の辞表をみつめ、まるで汚らわしい物でも触るように指でつまみあげました。眉間には深い皺が刻まれていました。
「今君に辞められると困る。私の謝り方が足りないということかね」院長の言葉に尊大な響きが含まれていました。
「すいません」私は頭を下げました。
「……なんだよそれ。おれに謝らせておいて」院長はあからさまに舌打ちをしました。
「引継ぎはちゃんと……」
「いいよ。明日から来なくていい」そういうと院長は席を立ち、パソコンに向かいました。これ以上、何も言うことはない。背中にそう書いてありました。
 医院での私の仕事は、この日を持って終わりました。