奇々怪々11

皆さんこんにちは。
お久しぶりです〜。Junどす。
もう忘れられていたりして(-.-)
さて、先日ある本を読みました。
「生きがいの創造」飯田史彦(PHP文庫)
すでにご存じの方もいるかもしれませんが、一つ紹介しておきます。
この著者の飯田史彦という方は福島大学の助教授で、経営学の先生です。
その中で人事管理論と言うのを担当しているそうなのですが、そう言った方がこういう本を執筆するというのは、ある意味不思議であり、ある意味判るような気もします。
その内容ですが、副題に「生まれ変わりの科学が人生を変える」と言うのが付いています。
この副題の通り、生まれ変わりというのをメインに起きながら、人生の生きがいを見つけることをテーマに書かれています。
生まれ変わりというと宗教めいたものに感じるかもしれませんが、この人は学者なので、あくまでも科学的に生まれ変わりというものを検証しています。
人生というものは今の肉体だけで終わるわけではなく、生まれ変わりを繰り返して魂のレベルを上げていく。
肉体を持つ今は修行の場で、愛や思いやりを大切にする心を成長させている。
地位や名誉、物質的なものはあまり意味はなく、それを知ることによって人生の意味を見いだし、生きがいに繋げるというものなのです。
生まれ変わりや魂というと、拒否反応を示す人や、初めから否定してしまう人もいるかもしれません。
しかしとりあえずいろんな思想を捨て、素直な気持ちで読んでみてほしい一冊です。
読んだ後でも受け入れられないときは仕方がありませんが、中には人生観に違った光が見える方がいるかもしれません。
ちなみに「生きがいのマネジメント」と「生きがいの本質」の2冊、計3冊がシリーズで発売されています。
え〜、前置きが長くなりましたが、それでは本題。

私はこの本に書いてある内容を、知識としてはほとんど持っていたので、これで人生観が変わったと言うことはなかったが、改めて考えに至ったことがある。
この本の主題でもある「愛」や「思いやり」である。
この二つは確かに人が生きていく上で大切なものだが、それだけにとてもやっかいで難しい。
そう、たとえ話をしよう。
彼はとても彼女のことを愛していた。
それは何物にも代え難い、無上の愛であった。
彼女のことだけを想い、彼女だけを常に見つめていた。
それはもののたとえではなく、行動が伴っていた。
彼女の後を着け、彼女の電話を盗聴し、彼女のゴミをあさって捨ててあるものまで持ち去った。
俗に言うストーカーだ。
この愛はいいのだろうか。
他人から見たら、自分勝手な受け入れられないものに映るだろう。
しかし彼からしたら、ひたすら純粋な愛だったのだ。
見返りを求めたわけでもなく、彼女の事を常に第一に想っているのだから。
そして問題は、彼女も彼の気持ちをうれしく思っていると、彼は疑いなく思いこんでいるのだ。
だからこれは決して自分勝手ではないと思っているし、何の間違いもないと思っている。

たとえ話をしよう。
Aさんは、ある宗教を信仰している。
Bさんも、ある宗教を信仰している。
ただ、二人の信仰している宗教は違うものだった。
そこでAさんは、Bさんに自分の宗教の勧誘をしたのだ。
これはBさんの事を想ってのことであった。
Aさんにとっては自分の信仰しているものこそ正しくって、人生と魂を清らかに正しく導くものなのだから。
逆に言うとBさんの信仰しているものは間違っていて、人生と魂を台無しにしてしまうものと思っているのだ。
Bさんを大切に想うAさんにとって、それは耐えられないものだった。
だからこそAさんはBさんを勧誘し、正しい道に導こうとしているのだ。
この愛は間違っていないのだろうか。
いやがるものを無理矢理勧誘することはいいことなのだろう。
しかし、こういう考えもある。
親は子供をしつける。
子供がたとえいやがったとしても、それが間違っていることだと思ったことは、無理にでも正しいと思うことに導くだろう。
それはまだ人として幼い子供に道を示す、人生の先輩としての努めとも言える。
Aさんにとって、Bさんを導くのはこれと同じ事なのだ。
間違った知識を正すのは、それを知るものの努めと思っているのだ。
だからこそ、Aさんは必死になってBさんを勧誘する。

たとえばボランティア活動をしたとしよう。
(これは紹介した本でも述べていることだが)
そのボランティア活動をした理由が、それをすることよって気分がいいから。
言ってみれば自己満足である。
では、これは動機が不純だとして、そんなボランティアは行わない方がいいと思うだろうか。
ボランティアとは完全な奉仕の心がないと行ってはだめだろうか。
私は行ってもいいと思う。
それによって相手が救われるのだったら、立派なボランティア活動と言えるだろう。
相手も喜び、自分も満足できるのだから、とてもいいことだと思う。
しかし、これも考え方によっては自分勝手で利己的な行為である。

愛にしても思いやりにしても、どれが正しい事なのか判断は難しい。
先ほど言ったAさんとBさんの話。
実はBさんの信仰している宗教は、後に反社会的な活動をする。
信者には薬物を使用して洗脳をしていた事が判った。
こういう事を聞くと、Aさんのとった行動は正しかったと思うかもしれない。

彼女をストーカーしていた彼。
彼女が彼を受け入れてみると、とっても良い関係になってすばらしい人生を送れるかもしれない。

こういう形で問いだした私であるが、私も明確な答えを持っているわけではない。
その時々に合わせてうまく判断していくしかない。
自分が人にやってほしいと思うこと、そして自分が人にやられたくないこと。
その立場、状況。
それらすべてを考え、バランスをとり、一番いいと思う事を見つける。
愛すること、そして思いやることはとても大切なことだと思う。
それは無条件でやることだと思うし、無くしてはいけないことだろう。
でも、だからこそ考えてみたい。
ベストとは言わない。
今の愛がせめてベターかどうか、今一度考えてみよう。

さて、今回はこの辺にしておきます。
ちょっとまじめにせめてみました。
本を紹介する反面、自分自身への問いかけだったのかもしれません。
私は別に聖人であろうとは思いません。
自分の喜びのための行動であっていいと思います。
ただ、最終的に相手の笑顔に繋がる事であればいいと。。。

それではまた(^.^)/~~~